「不思議の解明」の末にたどり着いた地動説!天才たちに愛される科学のロマン

17世紀の画家フェルメールが描いた「天文学者」(パリ・ルーヴル美術館所蔵)
アニメ「チ。」の人気に伴い、「地動説」が注目を浴びています。
中世のキリスト教会から弾劾された「地動説」、かの有名なガリレオ・ガリレイも地動説を唱えたゆえに宗教裁判にかけられたほどでした。
天文学史上、革命ともいえる「地動説」はどのような変遷をたどってきたのでしょうか。
古代からの歴史もふくめて解説します。
1. 天動説と地動説

「天動説」と「地動説」。
字を見ればそれぞれの意味のイメージが浮かびますが、定義や歴史を簡単に解説します。
・天動説
英語では「あるいはGeocentric
Theory」、つまり「地球中心説」と呼ばれています。
地球が宇宙の中心にあって不動であり、すべての天体はその周りを回っているという考え方を指します。
2世紀、アレクサンドリアの天文学者プトレマイオスによって提唱され(このためPtolemaic
Theoryとも呼ばれます)、16世紀まで信奉されました。
プトレマイオスの天動説は、力学的考察が欠如していたものの、天動説による暦の有用性によって定説化しました。
また旧約聖書の天地創造と合致するという理由から、キリスト教会が強く支持した経緯があります。
・地動説
英語では「Helio-centric Theory(太陽中心説)」と呼ばれます。
地球は惑星のひとつとして自転し、太陽を中心に公転しているという考え方です。
地球が不動ではないと考えた天文学者や科学者は、古代から存在していました。フィロラオス(紀元前5世紀)やアリスタルコス(紀元前3世紀)のほか、万能の天才と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチも、地動説信奉者でした。
とはいえ、彼らは長らくマイノリティでした。数世紀にわたりプトレマイオスの天動説が主流であったことは変わりません。
16世紀になり、ポーランドの天文学者コペルニクスが登場。地動説の研究書『天体の回転について(De revolutionibus orbium coelestium)』によって、科学と思想の世界に革命をもたらしました。
コペルニクスの説は、その後、ガリレオ・ガリレイ、ケプラー、ニュートンによって支持され、実証されました。
2.コペルニクス(1473-1543)の研究と地動説の公表

ヤン・マティコ作「コペルニクス:神との対話」(ポーランド・ヤギェウォ大学美術館所蔵)
地動説を展開し、天文学に革命をもたらしたコペルニクス。
「コペルニクス的転回」というドラマチックな言葉を生み出した彼は、どんな人物だったのでしょうか。
・コペルニクスはどんな人?
ニコラウス・コペルニクスは、1473年に生まれたポーランドの神学者であり天文学者です。ポーランド名はミコワイ・コペルニク。「コペルニクス」とは、当時のヨーロッパ知識層の共通語であったラテン語風に表したものです。コロンブスの本名がコロンボであるのと似ていますね。
コペルニクスは幼少期から優秀で、ポーランドの大学で神学、数学、天文学を学びます。1496年にイタリアのパドヴァ大学で医学を学び、このときに触れたギリシャ文化に触発されて、プトレマイオスの宇宙体系の訂正にトライしたといわれています。
10年間のイタリア留学ののちポーランドに帰国。聖職、医療、税務の仕事の傍ら、夜間は天体観測に励みました。
地動説の研究書の執筆には数十年を要したといわれています。『天体の回転について』が出版されたのは、彼が70歳で亡くなる直前のことでした。政治的経済的センスにも優れていました。チュートン騎士団の攻撃から城を防衛したり、貨幣の劣悪化による弊害を説いた『貨幣論』も著しています
・地動説への道のり
コペルニクスが、それまで欧州で信じられていたプトレマイオスの天動説に疑問を持ったのは、北イタリア留学中の20代のころのこと。 プトレマイオスによる宇宙は、「周転円」という、惑星の軌道を表す線で構成されています。その複雑性からは宇宙の実態を知るのは不可能、と察したコペルニクスは、宇宙の中心を地球から太陽に変えることで、より実在的な理論を展開したのです。 宇宙を「すっきり」と論じたいというコペルニクスの願望は、彼が数学者であったということも大きな理由かもしれません。
コペルニクスの地動説の根拠となったのは、
・小さな地球が大きな太陽を回るほうが自然であること
・惑星が太陽の反射で輝くのであれば、太陽が中心と考えたほうが自然であること
・太陽が中心と仮定したほうが、惑星の動きが明快に説明できること
などなど。
数学者がよりシンプルで美しい公式を求めるように、コペルニクスもより簡潔で洗練された宇宙を描いたのかもしれませんね。
・カトリック教会との関係
カトリック教会は、ながらくプトレマイオスの宇宙論を支持してきました。神学者であるコペルニクスは、当時のヨーロッパで吹き荒れた異端裁判の餌食にならぬよう、非情に用心深く行動していたと伝えられています。
優れた政治家でもあったコペルニクスは、教会との闘争をできるだけ避けたために、裁判や火刑を免れることができました。友人の勧めで書籍を出版したのは亡くなる寸前のこと。初版さえ手に取れなかったといわれていますが、その処世術はおみごとというほかありません。
3. 聖書と天動説

13世紀に描かれた世界地図(作者不詳、ロンドン・ブリティッシュ・ライブラリー所蔵)
キリスト教会はなぜ、天動説を強く支持したのでしょうか。教会と天動説の関係を解説します。
・天動説支持の根拠は旧約聖書の記述
旧約聖書の「創世記」には、神によって万物が作られ、最後に人間が生まれたという記述があります。いわゆる「天地創造」です。
天動説の根拠となっているのは、旧約聖書の詩編104編5節「地は世々かぎりなく、揺らぐことがない」という一説といわれてきました。
このため、地動説を唱えることは聖書を否定し、神を冒涜するものとして非難されたのです。中世は、宗教が科学を凌駕する時代でした。
カトリック教会の旧弊を否定したプロテスタントも同様で、コペルニクスはプロテスタントを興したマルティン・ルターに批判されています。
・アリストテレス的な宇宙観とキリスト教の融合
プトレマイオスが天動説の源流には、紀元前4世紀の哲学者アリストテレスの理論があります。
「万学の祖」と呼ばれるアリストテレスは、哲学や論理学とともに、自然科学に関する著作も多数残しました。「宇宙の中心であり静止している地球に向かって、物体は運動する」というアリストテレスの宇宙論が、プトレマイオスの天動説につながったのです。
一方でアリストテレスは、「万物が宇宙内で行う諸運動は、総じて神に似ようという欲求による」という説も唱えています。
初期のキリスト教会は、アリストテレスの論理を相いれないものとして拒否していました。しかし、13世紀の神学者トマス・アクィナスが「学としての神学」を確立するにあたって、アリストテレスの論理がキリスト教会と融合しました。
その結果、アリストテレスの学説に影響を受けたプトレマイオスの天動説が、キリスト教会によって支持され続けたのです。
4. ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)と地動説

イタリアのリラ紙幣に描かれたガリレオ・ガリレイの肖像とピサ大聖堂
ピサの斜塔から物体を落とすという実験を行ったことで有名な、ガリレオ・ガリレイ。彼もまた、地動説の定説化に大きな役割を果たしました。
・ガリレオの天体観察と発見
肉眼で確認することができる天体は、5千個ほどといわれています。ガリレオの功績は、1609年にオランダで発明された望遠鏡を使った、綿密な天体観察から導かれた地動説です。
望遠鏡によって、月のクレーター、木星の衛星、金星の満ち欠けを発見したガリレオ。彼は、「惑星の動きはコペルニクスの地動説によって説明が可能である」と確信しました。こうした画期的な発見を、ガリレオは『星界の報告』にまとめました。
・2度の宗教裁判
ガリレオの功績は高く評価され、トスカーナ大公の宮廷に数学者として招聘されました。宮廷では地動説と聖書の矛盾を主張していたため、1615年に教皇庁検邪聖庁によって異端と告発されました。翌年、地動説は説いてはならないという、比較的穏やかな評決を受けます。
1632年には、プトレマイオスの天動説とコペルニクスの地動説を比較した『天文対話』を発表。この書籍が当時のローマ教皇ウルバヌス8世の逆鱗に触れたのです。出版の翌年、ガリレオは異端審問所で断罪され、地動説の誓絶を強制されてしまいました。
幽閉されたガリレオは、失明や長女の死を乗り越えて、口述筆記で科学に関連する執筆を続けました。「近代科学の父」と呼ばれるにふさわしい、さまざまな功績を残しています。
・約360年ぶりの名誉挽回
1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって、ガリレオの裁判に関する調査委員会が設置されました。結果、ガリレオの名誉は回復され、教皇は公式にガリレオに謝罪したのです。
裁判で断罪されたあとも「それでも地球は動いている」とつぶやいたというエピソードを持つガリレオ、カトリック教会の謝罪になにを感じるでしょうか。
5. ニュートン(1642-1727)の万有引力と地動説

光学、数学、力学において、大きな業績を残したアイザック・ニュートン。コペルニクスやガリレオが唱えた地動説は、ニュートンによってある程度完成しました。
・万有力学について
若いころ、ガリレオの『新科学対話』を研究していたというニュートン。ニュートンといえばリンゴを思い出しますが、リンゴは地面に落ちるのに、なぜ月は地球の周りを運動して落ちてこないのか、を説明したのが万有引力の法則です。
質量を持つすべての物体の間には引力が働いており、地上の重力は月の軌道にまで及んでいるというのが、ニュートンが唱えた説でした。ニュートンの万有引力と力学の理論によって、地上の物体の運動、惑星の運動、潮の満ち引きまで説明できることが示され、地動説が不動のものとなっていったのです。
ニュートンの生涯で興味深いのは、万有引力をはじめとする革命的な研究は、20代のころに完成させてしまったことです。中年以降は錬金術や神学に没頭し、王立造幣局の局長を務めるほど、金属に精通していたのだとか。
天才の多様ぶりに驚かされますね。
6.「不思議の解明」の連鎖
日進月歩でテクノロジーが生まれる現代においても、宇宙について解明されているのは、わずか4%といわれています。
紀元前の時代から、人間は天体の観察を続けてきました。天動説定説化から数世紀、コペルニクスが地動説を提唱し、ガリレオやニュートンなどの天才間のリレーを経て、地動説が定着しました。
コペルニクスの地動説提唱からおよそ500年。まだまだ謎の宇宙の摂理は、人類の課題として、少しずつ解明されていくことでしょう。